no language no future !?
この一年、人の性質を言語化することに努めた。
この人は「自頭がいい」「素直」「がさつ」。。
でも、もうしないことにした。
社会人になって、会社にいる先輩方々は
人を言語化して説明する。
「あの人の性格は○○だから××だ。」
でも、言葉の持つ力、ってあるじゃない。
言葉にしちゃうと、どうしてもその言葉に引きづられてその人を見てしまう。
元々人との交流に関しては、自分の直感というか感じたことを信じて接してきた。
感じことを言語に落とし込むことなく、接するコミュニケーションスタイル。
社会人になってから、一時期、言語化する先輩に憧れたこともあったが、
一年経ってそれは違う、自分とは合わないことがわかった。
だから、言語に落とし込むことなくコミュニケーションを取っていきたい。
宇宙人いる・いない議論
宇宙人いる?
お化け信じる?
という質問に何て答えるか。
わたしは、科学は人類が見つけた現象事象を人類が定義化したものだと思っている。
地球上でだけ適用される言葉。
ユニバース共通なユニバーサル・ルールではない。
違う世界へ行ったら十二進法が一般的かもしれない。
単位が違うからお鍋の水は100度で沸騰しないかもしれない。
そして、今の科学は既存の現象とそこから予想されるものしか規格化していない。
だから、宇宙人やお化けが観測できたら
きっと科学という言葉で分類されて再定義される。
まだ人類が追いついていないだけ。
じゃあ、実在しなかったら科学の枠組みには入らないのかな。
例えばいま、電車の中でオナラした人がいて
わたしたちの嗅覚センサーがにおいに反応したら、
オナラした人がいるって認識できる。
でも、もしすごい薄ーいオナラをした人がいて
それをわたしたちのセンサーが認識できなければ
電車の中でおならしたひとはいないことになる。
つまり、いる/いないの定義はわたしたちの有する技術しだい。
主観を交えなければ
いないことと、観測できないことは同義なんだ。
それなら、いないことを証明する定義ってあるのかなあって思ったりなんだり日曜日。
アリータ バトル・エンジェル
この人の映画には毎回バカというかなにも考えていない人が出てきて
イライラする。今回も。
アリータはとても可愛かった。
最初違和感MAXのお目目が次第に愛おしく感じ、
戦いで傷つけばいたたまれない気持ちになる、
そんな親心を抱かせる。
ただ物語がね。。
CGも言うて?そんなに?慣れすぎたか?