映画と思ったことひとりごと

以前書いていた映画感想ブログいずこかへ消失。再チャレンジ。

no language no future !?

この一年、人の性質を言語化することに努めた。

この人は「自頭がいい」「素直」「がさつ」。。

でも、もうしないことにした。

 

社会人になって、会社にいる先輩方々は

人を言語化して説明する。

「あの人の性格は○○だから××だ。」

 

でも、言葉の持つ力、ってあるじゃない。

言葉にしちゃうと、どうしてもその言葉に引きづられてその人を見てしまう。

 

元々人との交流に関しては、自分の直感というか感じたことを信じて接してきた。

感じことを言語に落とし込むことなく、接するコミュニケーションスタイル。

社会人になってから、一時期、言語化する先輩に憧れたこともあったが、

一年経ってそれは違う、自分とは合わないことがわかった。

だから、言語に落とし込むことなくコミュニケーションを取っていきたい。

キャプテン・マーベル

アベンジャーズ・エンドゲーム直前のヒーロー爆誕映画。

ヒーローの生誕を描くには珍しく、ヒーローはすでに能力を持って登場。

そこから、なぜ能力を得たか、そして自身にとってのヒーローたるは、を描く。

 

冒頭置いてきぼり感をくらいつつも、

途中からはブリー・ラーソンの笑顔にやられ

彼女の大ファンに。

また、彼女と若かりしニック・フューリーの友情関係というか、

互いへの理解が素敵だった。

 

映画は若干精神論的なところもあってか、

あまりはまらなかったなん。

でも、エンドゲームでまたブリー・ラーソン見れるの楽しみなん。

 

グリーンブック

2019年のアカデミー賞作品賞受賞作。

その前から小太りヴィゴ・モーテンセンが気になっていたり。

 

マハーシャラ・アリとヴィゴのバディムービー。

対局に位置するふたりが互いに影響し合う様子は

最強のふたりに似てる。作風も似てる。

 

グリーンブックはとても素敵な映画だし、

見たら決して後悔することはないけど、

作品賞のお手本、教科書みたいな映画で、

素直に「良し」と言えない、ひねくれわたしがいる。

スパイダーマン:スパイダーバース

スパイダーグウェン可愛すぎか。。

昔好きだった子に少し似てる。。

 

スパイダーマン単独は結構詳しく、

そのヴィランもそこそこ知っているものの、

バースに拡大すると何もわからないので

事前に映画秘宝で予習。

 

ぶっちゃけそんなのいらなかった。

むしろ無知状態で見て、そのテンポにのっかるべきだったかも。

 

作品はそれほど目がチカチカすることもなく、

目から涙がこぼれることもなく、

わたし的にはあまりはまらなかったかな。

 

グウェンちゃんを除いて!

宇宙人いる・いない議論

宇宙人いる?

お化け信じる?

という質問に何て答えるか。

 

わたしは、科学は人類が見つけた現象事象を人類が定義化したものだと思っている。

地球上でだけ適用される言葉。

ユニバース共通なユニバーサル・ルールではない。

 

違う世界へ行ったら十二進法が一般的かもしれない。

単位が違うからお鍋の水は100度で沸騰しないかもしれない。

 

 

そして、今の科学は既存の現象とそこから予想されるものしか規格化していない。

だから、宇宙人やお化けが観測できたら

きっと科学という言葉で分類されて再定義される。

まだ人類が追いついていないだけ。

 

じゃあ、実在しなかったら科学の枠組みには入らないのかな。

 

例えばいま、電車の中でオナラした人がいて

わたしたちの嗅覚センサーがにおいに反応したら、

オナラした人がいるって認識できる。

でも、もしすごい薄ーいオナラをした人がいて

それをわたしたちのセンサーが認識できなければ

電車の中でおならしたひとはいないことになる。

つまり、いる/いないの定義はわたしたちの有する技術しだい。

 

 

主観を交えなければ

いないことと、観測できないことは同義なんだ。

 

それなら、いないことを証明する定義ってあるのかなあって思ったりなんだり日曜日。 

アリータ バトル・エンジェル

ジェームズ・キャメロン

この人の映画には毎回バカというかなにも考えていない人が出てきて

イライラする。今回も。

 

アリータはとても可愛かった。

最初違和感MAXのお目目が次第に愛おしく感じ、

戦いで傷つけばいたたまれない気持ちになる、

そんな親心を抱かせる。

 

ただ物語がね。。

CGも言うて?そんなに?慣れすぎたか?

 

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